今月読んだ本はなんだか普段より同性愛もの率が高く、しかも随分とアタリに恵まれている。この作品も然り。
剛しいらと言えば、肌色豊富でピンクなBLからシリアスな正統派JUNEから、作品の多彩さと水準の高さが売りの書き手だが、その巧さを存分に味わうことができた。
書き手が楽しんでいることが存分に伝わるなめらかな筆致に、いきいきという形容詞がぴったりのキャラクター、同性愛の持つ艶と陰を効果的に使ったストーリー。そして、これ以上ないというくらい作品の雰囲気と合った挿絵。
こういう非の打ち所のないBL作品の前に、読み手はただもう脱帽するしかないのである。
ちなみにいたく煽情的な帯がついているが、濡れ場はそれほど多くなく、またストーリーの流れ上「あった方がいい」濡れ場なのでご安心をば(?)
前作『座布団』と併せて落語家シリーズと冠された古典芸能BLである。物語を引っ張る主人公は引き続き要と寒也のバカップルだが、今回は彼らの師匠であり、既に鬼籍に入った名人・初助の過去を掘り下げていく。
要と寒也は相変わらず砂を吐きそうな仲睦まじさ。しかし、寒也のもとに子どもが預けられたことをきっかけにその関係に亀裂が入る。理想の家族像と同性愛者である自分たちの現状との乖離に気付かされ、このまま身を引く方が互いのためではという迷いが生じる。このあたりは、JUNE系の作品にはあまり見られなかったリアリズム要素で、誰も悪くないし全員の心情がわかるだけになんとも切ない。※
傷ついた要が転がり込む先が師匠の初助なのだが、「男の一人やふたりさっさと忘れろ」とずばずば言うわりに、その態度は限りなく優しい。
飽くまでBLとして読むのであれば、寒也と要、初助と寺田というそれぞれの組み合わせを軸と言うべきなのだろうが、このシリーズの魅力は、それに加えて寒也と初助、要と初助という横糸がしっかり紡がれているところだと思う。
誰との間にも壁を作って決して自分のテリトリーに踏み込ませなかった初助が、子犬のように無邪気に真摯に自分を追いかける要を唯一の弟子と認め、公私でかわいがった。この師弟関係が基底にあるからこそ、この落語家シリーズのストーリー性は秀逸なのだ。
初助は狙った男を的確に射落とす魔性だが、この作品では彼がなぜそのような生き方を選ぶようになったのかがつぶさに語られる。淡々とした三人称が貫かれ、初助の内面をうがつような書き方ではないものの、その客観性がむしろ彼の歪んだ心理を見事に描き出している。
寺田との出会いが初助に何をもたらしたのか、それすら初助自身の視点からは語られない。
台所に置かれた夫婦茶碗を見た要の驚きに伴い初めてその愛の輪郭は現れる。
このあたりの小道具使いや初助との距離の置き方は、ほんとうにすばらしい。
正直なところ、落語家シリーズのキャラクターたちは個人的な好みのタイプからはだいぶ離れていて、カップリングもそれほど…という感じである。しかし、そんな読み手をも魅了する力がこの作品にはある。そしてそれは、萌えや過激さというわかりやすい派手な要素への偏重ではなく、トータルバランスの良さなのである。間違いなく、BL小説というジャンルの価値をいくらも引き上げる名作と言えるだろう。
※昨今話題になるシリアス系BLはとかくこのすれ違いをテーマにするものが多いように思う。ヨネダコウ『どうしても触れたくない』は特にその最たるもので、自分の恋の成就と、好きな相手の幸せの成就のどちらを取るかで葛藤するゲイが主人公だった。
ちなみに映画版は、正に紙面から出てきたようなビジュアルのキャストと原作の空気感をうまく切り取った画作りがうまく噛み合っていて、なかなかいい実写化である。